gantai369の日記

未来の自分に向けての日記。

11日『モチベーションのコントロール』

気付いたら数日空いてたので、また明日。で終わるのはやめようと思う。なんやかんやでブログ一本書くのに数十分はかかるので、毎日更新とはいかない。

ここ数日を振り返っても、何も無い気がする。湿疹が出て肌が荒れたくらい。今はなんともない。変わり映えしない現実が、いよいよ退屈に感じるようになってきた。なので本を読むようにしている。

バーチャルさんはみている、割と好きだったけど賛否が結構別れてた。楽しめた人同士、そうでなかった人同士、なんとか住み分けてお互いの見えないところで盛り上がりたいものだなあと思った。便所の落書きことTwitterでは難しいか。

この三連休で、タリーズに行きたいですね…いざお店を目の前にすると、なんか怖くて入れない。誰かと一緒に入りたいけど、うーん。はたして僕の心を落ち着かせる場所に出来るのか。駅内に詳しくないので、時間を潰せる場所が増やしたい。

もうこれくらいしかない?いやいや…と頭を捻る。変わらず、これ以上話題が出ることは無かったので、やる事をやります。じゃあ、また。

5日『金と命』

お金、大事だよね。命も大事。でも、命は正直よくわからない。食べ物を粗末にするのはよくないと思う。大切な資源でもあるから。じゃあ人間の命は?ってなるとよくわからない。

人っていうのはいつかは必ず死ぬ。それがいつどんな形で終わるのかはわからない。数十年後に孫に囲まれて寿命で逝くか、数日後に溺れて逝くか。めんどくさいことで溢れた社会で生きるのは辛くて、安楽死制度が身近にあればいいなと思う。これは例え話だが、僕の家族が精神を病んで自殺を考えていると知ったら、僕は肌触りの良いロープを一緒に見てあげると思う。なんならお代を出す。だが命を、血の繋がった家族を軽視しているわけじゃなく、死にたいと思ってるなら死ぬべきで、それが怖くなったらちゃんと生きればいいと思うから。動く君がもう見られないのは辛いけど、今の君の方がもっと辛いよね。我慢してもいいことなんて一つもないんだから。

ちょっと脱線したけど今日はこれが本題。

度々ニュースでも見るけど、生後間もない赤ん坊の生死を分ける手術代を、世の皆様に集るというもの。これに、ちょっとだけ疑問を抱く。

まず一つ、高くない?どれくらいだったか、ちょっと調べてくると、約2億円。一般的なサラリーマンの生涯賃金は、約2.7億円。赤ん坊一人救うのに一人の人生を賭ける事と同義だ。ゾンビの群れに最後の銃弾を撃ち込むよりも、自分に撃ち込んだほうが良い。もし2億が舞い込んできたら性格が悪い僕はこんなことを思いつく。この赤ん坊は手術に失敗した事にして殺し、この2億で遊んで暮らそう、と。だがおそらく誰でも思い付くことでもあるんじゃないだろうか。

次に、よりによって赤ん坊を?命というのは替えがきかない。それを大事にしたいのはわかるが、よりによって、という感じ。この子は正常な人間になる為だけに2億の金という期待を背負って生きるのだ。将来性があるとも言える。立派な公務員になるかもしれないし、駅のホームで新聞紙に体を挟み込んで寝ている冴えない爺になり得るかもしれない。そんなよくわからん賭けに2億だ。意味がわからない。仮に公務員になっても替えは居る。命って、そんなに儚いものなんだろうか。冴えなくて汚い現実が見えないのだろうか。

金で命は買えないが、命で社会を回し、金を稼ぐことはできる。そういうことなのかもしれない。それじゃあまた明日。

4日『振り出し』

一昨日は、両親の実家に向かった。例年より何倍も心が楽だった。お腹が常に膨れていたのが印象的だ。お年玉はそこそこ貰えたが、使い道は特に思いつかないので三分の一くらいを手元に置いておいて、あとは貯金しておこう。

母方の実家は、結構楽しかった。叔父と兄を含めてモンストをした。なんだかゲームってやっぱり複数人でやるのが楽しいんだなって感じましたね。キッズが集まってからは、まあうるさかった。寒空の下でバレーし始めた時は楽しかったけど、それ以上に寒くてレシーブをした手が痛んだ。

人にはそれぞれ役割があって、先陣を切り開いていく人がいるなら、僕は常に最後尾に居たいとおもう。ちょっと遅れた人に前を譲って、扉を閉める。それが僕の生き方。底辺にいることに安心を覚える。

ひょんな事から、かるたを詠んだ。小さい子供ならまだしも人前で何か喋るのは少し気恥ずかしかったが、恥やプライドを捨てたいと思っているので「恥ずかしいなんて思わない」と思い込んでいた。すると伯母から「なんでそんないい声で読んでるのw」と言われた。お世辞でも嬉しいが、地声が通らない人間なので、少しだけ高い声を意識していただけだった。そういえば通話やキャスでも声が良いと褒められることが多い気がする。よく分からないけど、自信を持ってもいいのかもしれない。

 

昨日は一人でカラオケに行った。家でごろごろするのに飽き始めていたからだ。いつも通り昼下がりにいつもの店へ入った。ただ、いつもと少し違ったことはあった。対応をしてくれたお姉さんがね、めっっっっちゃ可愛かったの…普段は異性を畏怖か世辞の対象だと思っていたが、いわゆる一目惚れってこんな感覚なんだろうなあと思った。薄い茶髪に切れ長の二重まぶた。その目にはどこか闇を感じて、それがまた愛らしく思えた。髪は肩にかかるくらいで、毛先がすとんと下に落ちていた。マスクをしていたので口元は見えなかった。カラオケのiPadが故障して部屋を変えるとなった時も、その店員さんが来てくれて嬉しかった。そして四時間程度の時間を潰した会計の時もその方だった。こんなブログ誰も見てないと思って我慢しないけど、お釣りを渡される時にどきどきしてしまってダメでしたね。ただ可愛いと好きはまた別の話で、別にその人の事を好きになった訳ではないと思う。木曜日にシフト入れてるのかなあとは思ったけど。

あとカラオケでも何でもそうだけど、上手い人の真似をするのは本当に効率がいいんだなと思った。「この人ならこんな歌い方をするだろう」という意識を持って歌うと比較的気持ちよく歌えた。

 

こんなものかなあ、今日は時間に余裕しかないのでやることやります。

2019/01/02『好きを願う』

新年が開けて、最初のブログ更新になる。特に思うことはないが、覚悟を決める年にしたい。

昨晩…というか早朝までバラエティーを見ていた。面白くて、久しぶりに楽しかった。笑う度に傷んでいた胸も、今はなんともない。あとスマブラもした。やっぱり楽しくて、ガキ使片目にやっていた。

明日は祖父母宅へ向かう。車の中で買った本を読む。なるべく携帯を触らない時間を作りたい。お年玉を貰うのはいいが、親戚の人たちは苦手だ。特に今年はめんどくさい。あぁいやになる。家へついたら外で雪を楽しもう。なるべくいたくないし、書きたいものの発想に繋がるかもしれない。

好きって、きっと自分の命より相手の幸せを強く願うことだ。相手が死ぬくらいなら、自分はきっと死んでも死にきれない。互いにそう思いあっている関係は素敵だと思う。

昨日今日明日と常に何かを食べていると思う。ちょっと運動してもいいかもしれない。

28日『終わり』

物事には始まりと終わりが必ず存在する。人生も作品もこのブログも。始まった時点で終わりが確定しているのだ。ただそれが早いか遅いか、それだけだ。

2018年はもうすぐ終わる。今年は平成最後の〜が決まり文句で、別に大したことないものに限ってそういう謳い文句が使われていた。今年は「したいことをする」をモットーに行動した。

まず京都寺町三条のホームズという作品の一話上映会に行った。富田美憂さんを一目見たさで見に行った。作品自体は興味なかったが、今まで一番近い距離で富田さんを感じられて、とても気分がよかった。そういえばその日は大雨だった。折りたたみ傘は壊れ、外で雨宿りをしていたおかげでチケットの端が濡れてしまい、かなり焦ったがなんとかなった。初めて一人で東京へ向かったのはいい経験だ。新幹線も初めて乗ったかもしれない。いやそれは嘘だな。日帰りを条件に許可をもらえたので、あまり観光らしい観光は出来なかったが、アニメイトなんかにも寄ったのを覚えている。その日の夜は、ぐったりと疲れて体が軋むようなだるさに襲われていた。

次にコミックマーケット94に一般参加した。一人で東京へ向かうのは二度目だ。今年の思い出と言えばコミケだった。それくらい楽しく幸せな二日間だった。初めてのコミケは、仲の良い方々と行動を一緒にした。好きなジャンルの本を買い、ネットを通じてやりとりをしていた方達と初めて顔を合わせた感動は、一生忘れられない。だけどもうちょっと服にお金かけるべきだったなあと後悔。その方々と肩を並べて焼肉を食べたり、寝泊まりしたり。一年前の僕に伝えても信じて貰えないだろうなと思う事ばかりだった。帰りの電車で、別れる際は一人一人握手をして貰った。そうして別方向へ向かう三人の背中を見たら、とてつもない喪失感を感じた。一本乗り遅れた電車に乗って揺られている途中、Twitterにてお礼をしていた。別れました。って黒アイコンにして、電車の中でにやついた。そして駅について、新幹線を数十分待って乗り込んだ。窓の外を眺めていると、東京を離れるのがとても辛いことに感じて、涙ぐんだ。そして新幹線は無慈悲に出発し、Twitterに視線を落とした。寂しい、またいつか、そんな言葉にまた涙を堪えた。この二日間は、僕の人生において一番心に残っている日だと言えるだろう。

次に、別れがあった。人目に付く可能性も考え、あまり詳しくは書けないがとても大きな別れがあった。同学年の誰よりも精神が熟しており、それでいて人を楽しませられる人だった。僕は、そんな彼が本当に好きだった。今思えば、二人っきりで夏の夜空を眺め、たわいのない話をしたあの日は奇跡だった。死者に口は無ければ耳も無いと思うが、感謝を呟いた。

これくらいだろうか、「したいことをする」という目標は100%達成だ。来年は「覚悟を決める」年にしよう。

 

話は大きく変わって、昨日の商品を試した感想をちょこっと。かなり良かったが、結構体が疲れたのは、二回目もしたからだろう。使う前は小さいという感想を抱いていたが、実際使ってみたらぴったりだった。ねじりながらのストロークがかなり良い。早漏になったかと思った。二個目を使う際は、体を十分に温めて、中も温めてみたいと思った。ちゃんと貯めて、次はおかず片手に使いたい。隠す気はゼロだ。それと兄か父が帰らない日に。三回と言わず、限界まで挑戦したい。

 

また話は変わる。ブログは時間を忘れられるのは良いが、やりたい事が他にもある時は悩みどころだ。可哀想と心配は、頭の悪い人が使う言葉だと思っている。母がよく使うからだ。他人の行動はおろか、思考まで決めつけるのは馬鹿だろう。第三者が計っていい領域ではない。心配もだ。僕はまだ子供だからか、よく心配という言葉で縛り付けられる。親というのはきっと子供の可愛かった頃の影を見ているんだろうが、僕にはそれが苛立たしくてしょうがない。きっと反抗したいからとかではなく、一人の人間として違和感を覚えている。「心配させないで」なんて言われた日には拳が出るかもしれない。それはちょっと盛った。だが「心配させないで」という言葉に苛立ちを感じているのは本当だ。勝手に心配して「させないで」って、もうガイジやろ。自分の考え、感情を他人になすりつけるのはやめろ。そんな事言うならこっちとしてはイラつかせないで欲しい。それは自分が感情をコントロール出来ていないだけ、って話になるだろう。意味がわからない。

 

だいぶ筆が乗ったけど、今日はこのくらいに。

27日『幸せ』

僕は本当に嬉しい時によく幸せという言葉を使って表現している。僕にとっての幸せは数千円で買えたりするもので、安い幸せだと思う。成長して大人になるにつれ、その幸せはどんな形に変わっていくのだろう。

例の商品が届いた。意外と小さく感じた。すべすべとしていてずっと触っていたかった。

漫画は既に読んだ。特筆するほどでもないがとても心が満たされた。また何周かシリーズを通して読み返したい。

ラノベはまだ手をつけていない。だが読むのが楽しみで、ブログを書き終わったら漫画かラノベか、どちらから読もうか悩んでいる。漫画かなあ。

そういえば、家にはまだ読み切ってない作品がある。お墓参りに向かう車の中でちゃんと読もう。それより早く読むかもしれない。

今現在18:30頃だが、このあとの予定が楽しみでしょうがない。とりあえず22時までは自由に過ごすとして、それから24時。風呂にタブレットをを持ち込もう。防水とかはよく分からないのでちゃんと調べ、濡れないよう気をつけたい。父が帰ってこなければ、兄が帰ってこなければもっといいのにと思う。

 

これくらいだ。昨日買ったのど飴とキャラメルを頑張って消化している。冷蔵庫の牛乳の賞味期限が今日までだという事に僕以外気付いていないのか、封を開けたばかりでまだまだ残っている。なんとかコーヒー牛乳なんかにして消費したい。

 

27日『re』

本日はいつもより少しだけ充実していた一日だった。というのも、ちょっとした外出をした。概要は何度も言ってきたが改めて書かせて頂こう。

昼前に髪を切った。母が元々そういう職に就いてた人なので毎回頼んでいる。お金を出してちゃんとした美容院で切ってもらうのを考えるが、話しかけるのは苦手なのでしばらくはこのままでいい。

そして兄と母を連れて昼食を食べに行った。小さい頃から通っているその店は、五目あんかけ焼きそばの味も内装も何も変わっていなかった。もちろん悪い意味ではない。そうだ、初めて兄が運転する車に乗った。後部座席に座っていても不安や迷いを感じる運転で、乗り心地はあまり良いとは言えなかった。が、不思議と気分はよかった。

そうして駅へ向かい、ネカフェへ入る。今日の目的は読みたかった漫画を読む事だ。六等分の花嫁の6巻だったか。それと東京喰種:re の10〜16巻を読んだ。本命は後者で、2018年の内にやりたい事をやってしまおうと思ったから。数ヶ月後に何をしているのか、生きているのかすら分からないから。

六等分の花嫁も結構面白かった。五人の姉妹と風太郎の間の壁がすごく薄くなった印象。まだまだ作品は続いていきそうだ。

そして東京喰種:re。端的に、かつアホっぽく言えば最高だった。人と喰種、命を奪い合う二つの種族が存在する作品においてこれ以上のハッピーエンドはないと思った。大きく多い犠牲の上で成り立っている終演でも、ハッピーエンドと呼べると思う。金木研という主人公の悲劇が、こういうオチで幕を引く事に幸せすら感じた。金木研の「間違っているのは僕じゃない...。この世界だ」という言葉、当時聞いた時は確かにそうかもしれない、と首を縦に振った。だが金木研は容姿と身分が変わったように言葉も変わった。「世界は間違っていない。ただそこにあるだけだ」これは、まだ僕には完全には理解できない。何を正義とし、誰を悪とするのか。そんなテーマにおける一つの答えなんだと思う。金木研は世界を恨むことがない社会を、種の壁を乗り越えたのだ。

この東京喰種というタイトルの、金木研という一人の喰種の開演から終演を見届けられて本当に良かった。もし仮に、このタイトルがまだ続くのであれば平和なスピンオフでも読みたい。あの幸せは、今はどんな形をしているのだろう。